東京で気ままに生きる

誰よりも東京が好き。そんな筆者が東京での暮らし(食、住、仕事、育児、お金、趣味)について徒然と語ります。

上野千鶴子氏の東大学部入学式での祝辞における偏差値の正規分布に男女差はないという話とノブレスオブリージュについて

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上野千鶴子氏の東大学部入学式での祝辞が話題ですね。はてなブックマークやYahoo!ニュースでの大きく取り上げられていたのでご覧になった方も多いのではないでしょうか。

祝辞らしくないとか、お祝いの場なのにフェミニズムを持ち出してとか色々とネガティブな論評もあるようですが、率直に言って私は素晴らしい祝辞だと思いました。読んでみて気になった偏差値の正規分布に男女差はないという話と、感想として感じたノブレスオブリージュについて書き残しておきたいと思います。

 

 

偏差値の正規分布に男女差はないという話

読んでいて気になった点

全体として素晴らしい祝辞だと思うのですが、上野氏の祝辞を読んでいて、最初にすっと理解が出来なくて、気になってしまったのが次の部分です。

 

第2に東京大学入学者の女性比率は長期にわたって「2割の壁」を越えません。今年度に至っては18.1%と前年度を下回りました。統計的には偏差値の正規分布に男女差はありませんから、男子学生以上に優秀な女子学生が東大を受験していることになります。

 

全体として、女子受験生の偏差値の方が男子大学生よりも高いという説明の根拠となる部分なのですが、どうにも、この「①統計的には偏差値の正規分布に男女差はない」という点と「②東大入学者における女性比率2割未満」をもって、なぜ「③男子学生以上に優秀な女子学生が東大を受験している」という結論を導けるのかが、論理的にすっと入ってこなかったのです(ええ、私は結構理屈が好きなのです。)。

どういうことだろうとしばらく疑問に思って考えていたところ、次のように考えれてみれば理解出来ると感じたので、同じようにモヤっとしている人向けにシェアしてみたいと思います。

※ちなみに、私が気になったのは、あくまで①と②という前提を元にした③の結論を導くための論理的な考え方なので、①と②の事実が合っているかどうかはまた別問題です。念のため。

 

正規分布と日本全国の受験生の男女比率は同数という前提

まずキーワードである「正規分布」とは、次のような確率分布になります。見れば分かるとおり真ん中に平均があって、そこを起点として左右対称にデータ(今回の話であれば受験生)が分布しているたまに見かける図のやつですね。

 

Standard deviation diagram

上野氏の話で省略されていると思われる前提は、 日本全国の受験生における男女比率は1:1(男性が100人に対し女性は100人いる)=男女同数であるという点です。実際の日本全国の受験生の男女比率はよく分からないので、人口全体として総務省の人口推計*1を見てみると、15~19歳の総人口における男女比率は、確かにほぼ1:1(実際は1: 0.94なので、男性が100人に対し女性は94人いる状態)となっています。 

 

潜在的東大合格層にいる男女の数は同数

ここで、上の正規分布の中で「2aより右に位置する受験生」(上の図で言えば上位2.2%の層)を偏差値的に見た場合、東大へ合格する実力のある層(=潜在的東大合格層)と仮定してみましょう。これに日本全国の受験生における男女比率は同数であることと、「①統計的には偏差値の正規分布に男女差はない」という前提を組み合わせると、全体として潜在的東大合格層にいる男女の数は、同数になるはずです。

そして、この潜在的東大合格層にいる男女が漏れなく東大を受験した場合、東大合格者の数は、このまま潜在的東大合格層にいる男女の数と一致します。その比率は1:1、全合格者数から見れば女性比率は5割となるはずです。

 

東大入学者における女性比率2割未満の要因

ところが実際には、「②東大入学者における女性比率2割未満」という結果なのです。ここで考えられる要因としては、東大入試において不正が行われているか、あるいは、潜在的東大合格層にいる女子受験生の東大受験比率が男性受験生と比較して著しく低いということが挙げられます。前者がないとすれば後者しかなく、女子受験生が東大受験を取りやめるとすると、学力的にはボーダーラインの2aにより近い層の女子受験生がもっと偏差値の低い大学(安全圏の大学)への受験に切り替えるという行動を取ることが想定されます。結果として、潜在的東大合格層のうち、実際に東大受験に踏み切る女子受験生の偏差値は、潜在的東大合格層にいる男子受験生よりも偏差値が高くなります。このように考えると、「③男子学生以上に優秀な女子学生が東大を受験している」という結論を導くことができます。こう考えると論理的には流れるので、これでようやくスッキリしました。

 

ノブレスオブリージュ

気になった点の解説が長くなってしまいましたが、上野氏の祝辞を読んで、個人的に特に印象に残ったのは以下の言葉です。

 

あなたたちのがんばりを、どうぞ自分が勝ち抜くためだけに使わないでください。恵まれた環境と恵まれた能力とを、恵まれないひとびとを貶めるためにではなく、そういうひとびとを助けるために使ってください。

 

恵まれた能力だけでなく、恵まれた環境にも言及している点がポイントだと思います。この部分のメッセージを読んですぐに思い浮かんだのが「ノブレスオブリージュ」という言葉です。

 

ノブレスオブリージュ(〈フランス〉noblesse oblige):

身分の高い者はそれに応じて果たさねばならぬ社会的責任と義務があるという、欧米社会における基本的な道徳観。もとはフランスのことわざで「貴族たるもの、身分にふさわしい振る舞いをしなければならぬ」の意(デジタル大辞泉)

 

別に身分の話ではありませんが、東大入学者という、本人の努力は当然の前提とした上で、これまで東大に合格するぐらいの努力をし続けることができる環境にあり、今後、さらに知を深めていくための最高の環境が用意されている者を激励する言葉として、非常に適切なメッセージのように思いました。何も東大生でなくても、大学という高等教育を受けられる環境にあること自体、世界に目を向ければまだまだ非常に幸運なことです。世界を100人の村に例えれば、大学卒業資格をもっているのは、たった7人に過ぎない*2わけなので。私も自分なりに頑張ろうと思えました。

 

上野氏のメッセージは、統計の重要性や、大学で学ぶ意義など色々とあると思いますが、個人的には、この言葉に集約されるノブレスオブリージュこそが全体の祝辞を貫くメッセージのように感じました。まだ読んでいない方は、ぜひ刺激を受けるきっかけとして祝辞の全文を読んでみてください。オススメです!

 

上野千鶴子氏の東大学部入学式での祝辞における偏差値の正規分布に男女差はないという話とノブレスオブリージュについての感想でした。だからやっぱり東京が好き。今日はこの辺で。

*1:人口推計の結果の概要(平成31年3月報):

https://www.stat.go.jp/data/jinsui/pdf/201903.pdf

*2:100 People: A World Portrait:

https://www.100people.org/statistics_100stats.php?section=statistics